桜井 和寿(さくらい かずとし、1970年〈昭和45年〉3月8日 – )は、日本のミュージシャン、シンガーソングライター。バンド・Mr.Childrenのボーカリスト兼ギタリストである。
当ブログで何度も紹介しています。桜井和寿です。今は50代になりましたが若い頃の桜井和寿を振り返ってみようと思います。
東京都練馬区出身。身長172cm。アマチュア時代からMr.Childrenの楽曲のほぼ全ての作詞、作曲を手掛けている。Bank Band(櫻井和寿名義)のボーカル・ギターを担当している
中学2年の時、姉からギターを譲り受け独学で習得します。中学3年、文化祭の時に初めてバンドを結成、バンドデビューを果たします。関東高校(現聖徳学園高校)に入学。田原健一、中川敬輔らと共に軽音楽部内にバンド・Beatnikを結成します。
そのあとにバント名をTHE WALLSに変更し、1989年にMr.childrenに変更します。1992年5月10日、プロデューサーに小林武史を迎え、アルバム『EVERYTHING』でMr.Childrenとしてメジャーデビューしました。
その後「抱きしめたい」、「CROSS ROAD」、「innocentworld」などのヒット曲をリリースし、本を代表するバンドになっていきます。
誕:1970年38職業:ミュージシャン
出:東京都練区
本名:櫻井和寿
事務所:エンジン、カズプロ
ダクション
レーベル:トイズファクトリー
桜井和寿の若い頃がかっこいいしイケメン!笑顔から短髪やロン毛の髪型!天才といわれた全盛期
桜井和寿さんと言えば、これまでに爽やかなショートヘアからロン毛まで、様々なヘアスタイルに挑戦しファンを楽しませてくれました。
桜井和寿の若い頃のイケメン①:デビュー前はショートカットイケメン短髪
桜井和寿が『寺岡呼人&ヒズフレンズ 〜かわいい子には旅をさせろツアー〜』に参加してた頃です。デビュー当時の桜井和寿さんは、全体にかなり短めに刈り込んでいました。
桜井和寿の若い頃のイケメン②:デビュー時のアルバム『EVERYTHING』のころ短髪
月10日、プロデューサーに小林武史を迎え、アルバム『EVERYTHING』でMr.Childrenとしてメジャーデビューしたころですね。『オールナイトニッポン』月曜2部(深夜3時 – 5時)のマンスリー・パーソナリティを務めていました。画像の桜井和寿さんは、前髪をオールバックにしていますね。こちらの画像の桜井和寿さんは、前髪をオールバックにしていますね。
桜井和寿の若い頃のイケメン③:90年半ばの頃ブレイク後!カリスマ・天才といわれた全盛期
1993~1994年にかけて「CROSS ROAD」、「innocentworld」などのヒット曲をリリースし、日本を代表するバンドになりました。突然の大ヒットで桜井和寿も驚いていたでしょう。風貌や歌詞が変わり始めてきたのがこのころだと思います。
天才が表れといわれてましたね。同じ天才のイチローがでてきたころでしょうか。
桜井和寿は売れた自分と売れてしまった自分に戸惑いを感じたとはなしていましたね。これは本当に一部の人間にしかわからないことだとは思いますが「CROSS ROAD」、「innocentworld」で年間一位のシングルを作り、Tomorrow never knowsで280万枚も売ってしまいます。生活がガラッとかわったでしょうね。
桜井和寿の若い頃のイケメン③:90年後半の病んでた頃はロン毛だった
ただこの鬼気迫る感じがカッコ良すぎる。男性ファンが増えました。髪型は見事にロン毛です。
ちょうど90年代後半の、“略奪不倫”と騒がれた現在の嫁である吉野美佳さんとの不倫報道があった時期です。96年から97年にかけて行われたツアー「regress or progress ’96-’97 tour」
超ハードスケジュールの中行われたライブツアーであり、ミスチル桜井含めメンバーも相当苦しかったツアーである。年をまたいで55公演もの回数を行ったこのツアーはほぼ毎日のようにライブをしていた。ちなみ最新アルバム「REFLECTION」のライブ、アリーナツアーは20公演である。
以前よりメンバーはプライベート時の追っかけに悩んでおり、特に桜井はマスコミやファンが自宅や実家に来るため、雑誌のインタビューで「本当に辞めてほしい」と伝え、シングルをリリースする度に頻繁に髪型を変えていました。
活動休止を発表したことで追っかけ行為が悪化したため、桜井は「次来たらミュージシャンをやめる」とファンクラブ会員向けの会報で警告した
ミスチルは1979年に無期限の活動休止となりました。
ロン毛ブームはありましたが、そうではなく売れることに嫌気を指していた感じですね。目などは完全に狂気です。もちろん、歌詞も90年代前半ではかんがえられないものとなっています。ただこの鬼気迫る感じがカッコ良すぎる。男性ファンが増えました。
桜井和寿の若い頃のイケメン④:活動復活後
前髪を下ろすスタイルが主流になりました。活動復活後はミスチルで最高傑作といわれる終わりなき旅でした。その最高傑作でも当時人気があったラルクやグレイには売り上げで勝てることはしばらくできなかったんですよね。この頃の桜井和寿の精神状態が健康だったかといえば、NOかもしれない。
まだ前妻と離婚協議を重ねていた時期だという。前妻と離婚が正式に決定したのは2000年のことだそうだ。
プライベートのイメージかビジュアル系バンドブームであったこともありますがね。
復帰後、作られたアルバム「DISCOVERY」「Q」この2作品はミスチルが「売れる」ということに固執しなくなった作品である。
そのためか様々な遊び心が設けられていたり、売れ線のヒット曲のような曲も少ない。
酔っぱらった勢いでレコーディングをしたり、ダーツで曲展開を決めたりしている。聴きごたえのあるアルバムであり、今でも特に「Q」は名盤扱いされている。
2000年、アルバム「Q」をリリースした後、ミスチル桜井はこんなことを言っている。
いや解散しなくてよかったですね。
桜井和寿の若い頃のかっこよさ渋さ:2000年半ば(第二次ミスチルブーム)
2000年代半ば(35歳)頃になると、桜井和寿さんは一転して黒髪に回帰し、それ以降はほぼ黒髪で通している感じですね。このころの桜井さんは今までにないようなミスチルを演じるように感じました。
またミスターチルドレンも再び売れるってことによろこびを感じているようでした。幸せそうな桜井和寿がどんどんふえていきます。笑顔も多いイケメンです。
下記はsignのプロモーションビデオです。2004年の年間2位になったシングル曲です。
ap bankの活動の一環としてBank Bandを結成もしました。
まとめ
今の幸せそうな桜井さんもよいけど、狂気に満ちたロン毛のころの桜井さんもすごかったな。
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