木村拓哉といえば、映画やドラマで幅広く活躍するマルチタレントです。
そこで今回は木村拓哉の家族構成や家の住所など調べてみました。
今回の記事では「木村拓哉の家族構成は?父は木村秀夫!母は木村方子!木村俊作が弟!両親と絶縁?画像!実家?兄弟の仲?WIKI!まさこ」についてお伝えします。
- 生年月日:1972年11月13日
- 出身地:東京都(千葉市育ち)
- 身長:176cm
- 血液型:О型
- 1987年SMAPとしてデビュー
- フジテレビ月9ドラマの最多出演記録を持つ
木村拓哉の家族構成や両親の出身地は?2022年最新?親

木村拓哉さんの4人家族の長男で、兄弟は弟さんがいます。木村拓哉の実家の家族構成はこちらです
父:秀夫
母:方子
木村拓哉さん
弟:俊作
木村拓哉の家族での育ちは大阪・千葉?

ジャニーズ事務所の公式プロフィールだと出身地は東京となっていますが出生地は諸説あるようです。
木村拓哉さんの出生地と言われているのが東京、千葉、大阪。
木村さんは幼少期を千葉県で過ごしており、小学校から高校まで千葉県の学校に通っていました。
千葉県立犢橋高校の同級生にマツコ・デラックスさんがいる事は有名な話ですよね。
また、木村拓哉さんは大阪のローカル番組で、小さい頃に短い間、大阪府箕面市で生活していたことを話されていました。
木村拓哉の家族の実家は?
芸能界で成功したタレントが両親に家をプレゼントする事が良くあります。木村拓哉さんも1995年に両親に8000万円という豪邸をプレゼントしたそうです。
木村拓哉さんの自宅が約10億円と言われていますので、それに比べると安く感じてしまいます。ですが、一般人にしてみれば8000万円は豪邸と言えるレベルですよね。
気になる木村拓哉さんの実家の住所は千葉県千葉市美浜区です。2020年の段階では、ここから4、5年前に売却されたそうです。
当時の登記では、権利を木村拓哉さんが1/2、ご両親が1/4ずつ持っておられたとのことで、木村拓哉さんも了承済みだったことも示唆されていました。木村拓哉さんのご実家は『無い』ということになりますでしょうか。
木村拓哉の父!木村秀夫のカフェ経営?絶縁

父親の名前は「木村秀夫」さんといって、2022年は73歳を迎えると言われています。写真などは見つけることができませんでしたが、木村さんは父親似だそうですので、とてもハンサムな方なのでしょうね。
父親の性格はとても真面目で厳格だそうで、木村拓哉さんが芸能界に入るときも大反対したそうです。厳しく躾けられていたため幼少の頃は父親に頭が上がらなかったそうですが、思春期に入ると取っ組み合いの喧嘩になることもあったのだとか。
木村拓哉は父の木村秀夫と絶縁?
結婚にも反対していたそうで、できちゃった結婚をした際には激怒し、親子関係が悪化して現在では疎遠になっているそうです。
- 「父の秀夫さんと母の方子さんとは、お世辞にも良好な関係とは言えないようです。現在の秀夫さんは都内でカフェを営み、方子さんは都心のマンションを拠点に講演活動で全国を回る日々。方子さんが千葉県内の自宅に寄るのは年に数回、荷物を取りに来るだけの“別居”状態だったのです」
当時のインタビューで工藤さんは『30歳までには結婚して子供を産みたい』と語っていたそうです。
お2人が結婚されたのは当時木村さんが28歳のころ、工藤さんはちょうど30歳のころでした。
これは工藤さんの策略結婚と報道されても仕方ないようにも感じられます。

木村さんの父、秀夫さんは昔ながらの厳格な性格と言われてたのでできちゃった結婚をしてしまった木村さん夫婦をあまり良く思えなかったのではないでしょうか。
木村秀夫さんは、どんな人物だったのか以下の3つを紹介します。
- 大手織物メーカーを脱サラ
- レストラン『ラ・ボニータ』をオープン
- 盆栽カフェを経営
サラリーマン時代から料理人と転向し今はカフェを経営されている秀夫さん。
木村さんのマルチにこなすセンスは秀夫さんから受け継いだものなのかもしれませんね。
川島織物を脱サラ
は会社勤めのサラリーマンでした。
木村拓哉さんが幼い頃に大阪府に住んでいたというのも父親が転勤族だったことが理由のようですね。
木村さんが3歳のころまでは大阪に住んでいたそうです。
当時は『川島織物』という大手の織物メーカーに勤めていたという木村拓哉さんの父親です。
1992年頃〜1996年まで川島織物という老舗大手織物メーカーで働くサラリーマンでしたそんな木村秀夫さんですが、あることがきっかけで騒ぎになりました木村秀夫さんが1996年12月に村拓哉さんの写真集を販売したことでした。
その販売は務めていた川島織物の関連会社である『川島インターナショナル』から販売され、ジャニーズ事務所の許可も取っていなかったそうです。木村秀夫さんとジャニーズ事務所が揉めたんだとかいいます。原因かは分かりませんが、1996年に会社を脱サラし、レストランの経営を始めました。
お店を経営していたころは妻のまさ子さんと二人三脚で経営していました。
レストランをオープン

1997年10月に夫婦でレストラン『ラ・ボニータ』をオープンします。
店名は木村拓哉さんが当時飼っていた、犬の名前「ボニータ」からのようです。
このボニータにはスペイン語で「きれい」「可愛い」の意味があるんだとか。
木村拓哉さんが子供の頃の、愛犬の画像がこちらです。

スペイン語の意味通り、きれいで可愛いですね。レストランは優しい味で美味しく人気があり、木村拓哉さんのファンも押し寄せ大繁盛していたそうです。店舗も東京都と神奈川県に1店舗ずつ構え、大人気でしたが2005年に閉店。
木村拓哉(キムタク)の父親は「ラ・ポニータ」という名のレストランを経営し、東京都と神奈川県に一店舗ずつ、計二店舗を構えていました。本格的なイタリアンが味わえると料理人としても高評価だったそうです。

同年9月にリニューアルされ夫婦で『リストランテ いな田』というイタリアン薬膳レストランを神奈川県でオープン。こちらも大変人気で、2009年10月20日まで経営していたそうですレストラン経営への思いの強さがうかがえますね。
実は、木村拓哉さんが、現在の奥さまである、工藤静香さん、とご結婚される前にお付き合いされていた女性の方が、そのお店を手伝われていらっしゃったこともあるのだそうです。
自分の店を構えた木村拓哉さんの父親でしたが、このことは瞬く間に世間に知れ渡りお店にファンやマスコミが押し寄せ大パニックになってしまいました。やはり木村拓哉の父親が経営するお店としても話題性が高かったのではないでしょうか。
そのストレスからか父親は体調を崩し働けなくなってしまいました。
盆栽カフェを経営

木村拓哉さんの父親は、現在東京都内で一人で盆栽カフェを経営しているのだそう。昔ながらの厳格父さんと呼ばれるほどの秀夫さんならではのご趣味なのかもしれませんね
8月に解散を表明したSMAPの木村拓哉の実父が、盆栽店をやっているのです。もともとはサラリーマンだったそうですが、奥さんと飲食業に転じたのち、数年前からカフェを併設した盆栽店を営業しています
盆栽教室を体験された方も、『わがまちジャーナル』で盆栽の良さを次の様に言われています。樹齢何十年もの木が小さい鉢にある、小宇宙感のような楽しさがある努力や丹精で変化するものなので、こだわりを持って楽しめる
盆栽カフェとはなかなかユニークですが、一体どのようなカフェになっているのでしょうか。
噂によると店内には盆栽が100種類ほど置かれていて、盆栽を眺めながらコーヒーやスイーツを楽しむことができる空間になっているのだそう。
ご主人は丁寧に小品盆栽を紹介して頂き、本当に勉強になりました。また、手作りの美味しい珈琲とケーキまでも頂き、大満足でした引用元:小品盆栽 季の風
丁寧に入れてくださる珈琲と手作りケーキでもてなしてくださる奥様、何度お邪魔しても飽きないとてもステキなお店です引用元:小品盆栽 季の風
口コミも良く、店主である木村拓哉さんの父親の人柄が素晴らしいと絶賛されています。
動画からも木村秀夫さんはじめ、お客さんの熱心さやこだわりが見受けられますね
木村拓哉の母は木村方子(まさこ)さんのスピリチュアル?画像はWIKI

木村拓哉さんの母親の名前は木村方子(きむらまさこ)さんです
- レストラン経営での評判
- 講演会を始め、書籍も出版
- 睡眠剤・安定剤を手放せない16年間
- 宗教説と現在の活動
その木村拓哉さんのお母様は、そのお店をされているときから、食育や子育て、をテーマとされた、講演活動、も同時にされていたのだそうです。
木村方子(まさこ)のレストラン経営での評判
1997年〜2009年と10年以上もの間『ラ・ボニータ』と『リストランテ いな田』を木村秀夫さんと経営してきました。レストランでは医食同源の考えをもとに食材を選び抜き、料理もおもてなしも人気のお店だったようで、このような口コミもありました
木村方子さんの接客に満たされている様子や、閉店を残念に思われている様子がうかがえます。2009年にレストランは閉店していますが、木村方子さんはレストラン経営をする傍ら2007年頃から講演活動もされていました。
木村方子(まさこ)は講演活動を開始

食へのこだわりがある木村方子さんは、2007年頃から講演活動も行っていたそうです
コンセプトは”食といのちの大切さ食で、『育みはぐくまれ』という書籍も出版しています。この本には木村拓哉さんの高校での出来事や生い立ち、育てることについて語ったエッセイが書かれています。
書籍の読者の評判もよく、講演会もたびたび開かれたそうです。食と命の大切さや、木村拓哉さんの生い立ちなどを楽しみに講演会に足を運ぶファンが多かった様ですね
木村方子(まさこ)が睡眠剤・安定剤を手放せない16年間

レストラン経営や講演会など、順調そうに見える木村方子さんですが実は自身の中で16年間も苦悩を抱えていたそうです。2009年10月6日に掲載された朝日新聞でも、次の様に応えていました。
《普通の生活も安定剤がないとできなくなる。夜は睡眠薬を飲まなければ眠れなくなる、というのが16年間続いたんです。でも、家族はそれを知らないと思います。私が言わないから。言えないで、自分でなんとかしようと……》
引用元:木村拓哉「母の日」お祝いも、実母・方子さんは「安定剤と睡眠薬」16年間の“冷戦”
睡眠薬や安定剤が手放せなくなった良妻賢母やーめた。息子たちは息子たち
52歳でトンネルを抜けるまで、16年かかった。木村拓哉さんや弟である木村俊作さんを、立派に育てないといけないという思いから、理想の枠を作りすぎていた様です。
他人に苦労を見せない、その姿にファンの方も惹かれていったのでしょう。年齢は2009年時点で59歳なので、2022年では72歳ですね。
木村方子(まさこ)の宗教説と活動2022
2011年には、「宇宙神」を奉っているといわれる団体「ふる里再生協会」という法人を設立し、自ら会長になりました。
木村拓哉さんのお母様は、そのお店を閉められたことを機に、そういった活動に本格的に乗り出されたそうです。
その木村拓哉さんのお母様が始められた活動が、何か宗教と関係があるのだそうです。
また、裏付けるかのように、その活動の時期に合わせられて、改名もされているそうです。
その木村拓哉さんのお母様は、2010年に、一般社団法人『ふるさと再生協会』を設立されたそう
です。
そして、その会長に就任されたのだそうです。
木村拓哉さんのお母様は、本格的に、その法人設立とともに、講演活動を始められたそうですが、それが、だんだんとスピリチュアルな話になってきたそうです。
- 放射能には味噌が効く
- 魂のレベルを上げる
『食育ではなくだんだん宗教家っぽくなっている』『スピリチュアルには興味ない』です。

実際に、その講演を聴きに行かれた方のお話によれば、そのお母さまの講演内容は、とくにオカルトや宗教的な内容、ではなかったのだそうで、そのようなことを期待されて行かれた方が、満足されるような内容、ではなかったのだそうです。
木村拓哉の弟!木村 俊作さんは?アメフトや兄弟の仲は?


木村拓哉さんの弟の名前は木村俊作(きむらしゅんさく)さんです。年齢は、木村拓哉さんより7歳年下です。
身長/体重:180cm/89kg
学歴:日体大卒業
職業:元アメフト選手・ファッションデザイナー
木村 俊作はアメフト元日本代表選手
木村俊作さんは高校卒業後、日本体育大学の体育学部に進学します。大学ではフットボール経験があり、ポジションはラインバッカーでした。卒業後の2002年4月に社会人アメリカンフットボールチームに入団しました。
2003年にはドイツで開催されたW杯に日本代表として出場し連覇に貢献しました。優勝に貢献できるなんて、自分に厳しく強い人なんでしょうね。
木村 俊作はファッション界での才能も
>2002年に高校の同級生の老川一平さんと<strong>『SHUIP』というブランドを立ち上げます『SHUIP』には木村俊作さんの『SHU』と老川一平さんの『IP』をそれぞれ掛け合わせたのが由来だそうです
ファッションブランド「SHUIP」は、和と洋の融合を特徴としたコンセプトでした.
海外からの注目も集まっていた様ですが、フットボールと時期が同じだったこともあるためか、長くは続かず閉店となってしまいました。しかし、閉店した後も根強いファンの間ではオークションなどで売り買いされていたんだとかいいます。
木村 俊作は防衛大学校でコーチ
ファッション界から一転、2019年には再びフットボールの道へいきコーチをされた様です。国の機関のアメフト部のコーチを出来るなんて、実力や信頼があることが証明されていますね。
木村拓哉と木村 俊作の仲は?兄弟の不仲


弟の俊作がアメフトで活躍しはじめた頃、すでに兄の拓哉は有名人でした。アメフトでどれだけ頑張って自分の実力を発揮しても「キムタクの弟」というのは彼を苦しめていて後に週刊朝日やメディアで伝えています。
- 「どこに行っても絶対にキムタクの弟がついて回る。最初に自分として見てくれない」
- 「キムタクの弟としか見られずそれが悔しくて突っ張ってきた。体を鍛えたきっかけもなめられたくなかった」
- 「迷惑の方が多かった(兄が有名人で)。親だってそう。うちは兄貴の稼ぎでは食っていないのに「お宅は右肩あがりでいいですね」って父も言われたりする
- 「やつはやつで好きなことをやってんだから、俺には関係ないと思った」
- アパレルのお店を出店する際「報告してません。そのうちに」
まとめ
キムタクは、自分が育った家族を“反面教師”にしているのかもしれません。
彼なりに方子さんの変調に気付いていて、静香の意思意見を尊重するのも妻に寄り添うという姿勢の現れだと思います。
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