ジュディマリの解散理由は何?不仲だった?judy and mary 

ジュディマリは不仲だった?解散理由は何?噂など紹介
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JUDY AND MARY (ジュディ・アンド・マリー、略称:ジュディマリJAM) は、日本のロックバンドである。1992年結成。1993年にメジャーデビュー

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ジュディマリについてです。当時から、男女比はほぼ半々。’90年代にリアルタイムで聴いていたファンは30代から50代になっていますが、今でもカラオケで『Over Drive』や『そばかす』を歌っている人はおおいですよね。だが突然解散をしてしまい、当時は大問題となりました。

今回の記事ではジュディマリの解散理由は何?不仲だった?judy and mary についてお伝えします。

ヘヴィメタルバンド「JACKS’N’JOKER」のメンバーとしてメジャーデビューしていた恩田が、映画『いつかギラギラする日』の撮影で北海道を訪れた際、エキストラとして参加していた当時短大生のYUKIと知り合います。

 映画スタッフ達との飲み会の場で、YUKIが「バンドをやりたいけどどうすればいいのかわからない」と恩田に相談した事がきっかけで、その後YUKIにデモテープを送ってもらった恩田がそれを聴いたところ歌声を気に入りボーカルになりました。

“Judy And Mary”というバンド名は快活でポジティヴな女のコ“ジュディ”とすこしひねくれ者のネガティヴな女のコ“マリー”という女の子の二面性を表しています。

 それがそのままYUKI自身に当てはまることもあって、以前から恩田が構想を練っていた『女のコが歌うポップで切ないサウンドをバンドでやる』というイメージでした。

同年12月にリリースしたアルバム「ORANGE SUNSHINE」からは、「BOØWY」や「GLAY」、「L’Arc~en~Ciel」などを手掛けた90年代を代表する伝説的音楽プロデューサー・佐久間正英さんを迎えたJUDY AND MARY。

11月、サポートメンバーだった五十嵐公太が正式に加入し、オーディションによりTAKUYAが加入してジュディマリが完成したのです。

1997年にリリースしたアルバム「THE POWER SOURCE」は300万枚に及ぶメガヒット記録し、翌1998年には初の東京ドーム公演を成功させ、その年の紅白歌合戦に2度目の出場を果たしました。

デビュー8年後の2001年に突然の解散を発表したJUDY AND MARY。2001年1月9日に全国紙朝刊の全面広告で解散を発表しました。絶頂期を迎えていたJUDY AND MARYだったのですが、翌1999年は1年間の活動休止を発表します。

再結成が最も熱望されるバンドと言っても過言ではありませんが、再結成の噂が浮上しては消え、また浮上しては消え…を繰り返しているようです。

目次

JUDY AND MARY(ジュディマリ)は不仲だった?解散理由は何?

JUDY AND MARY(ジュディマリ)は不仲だった?解散理由は何?

インターネット上にも下記のようなコメントがあります。

JUDY AND MARYは不仲だったのに何故バンドを結成したのでしょうか?普通仲悪いならバンドなんて結成しないですよね?

引用元:YAHOO知恵袋
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バンドが解散する場合には色々な憶測が飛びます。主に下記が原因といわれています。

「音楽への向き合い方などの違いが重なり、修復不可能になったということです。TAKUYAさんの発言力が次第に強くなり、リーダーの恩田さんの居場所がなくなって脱退を表明しました。TAKUYAさんとYUKIさんが男女の仲になったことも、不協和音を増幅させたんでしょう」

引用元:https://www.jprime.jp/articles/-/15575?page=3

JUDY AND MARYの不仲・解散理由① :確執

“ジュディマリ”の愛称で親しまれた彼らは、バンドメンバーそれぞれの個性が強く、やがて90年代のロックシーンを語る上で欠かせない存在となっていきました。

難産となった『POP LIFE』制作時点で、アルバムを作り上げるプロセスに無理が生じていることをメンバーが認識するようになったそうです。

JUDY AND MARYがメジャーデビューを果たし、佐久間正英さんという凄腕プロデューサーの協力の下、バンドが急成長し、巨大化していく中で少しづつ状況が変わっていったんですよね。

TAKUYAさんは元々ギターの演奏スキルが高かったことは言うまでもありませんが、JUDY AND MARYの中でもまれていくうちに、作曲能力を発揮していき、やがて佐久間正英さんもその能力を認めていくようになったのです。

徐々にアルバムの中にTAKUYAさん作曲の楽曲が増えていくことで、恩田快人さんが当初描いていたバンドの方向性が少しずつズレていくことに…。

やがて、JUDY AND MARYの4thアルバム「THE POWER SOURCE」では、収録曲全10曲のうち、TAKUYAさん作曲の楽曲が6曲、恩田快人さん作曲の楽曲が4曲と、完全に逆転してしまうんですよね。

バンドの主導権も恩田快人さんからTAKUYAさんへと移っていき、その頃からTAKUYAさんの態度も大きくなっていったと言われています。

 1999年の活動休止期間中にメンバーそれぞれがバンド外で音楽活動をした上で、『Brand New Wave Upper Ground』リリース後に恩田からメンバーに「このまま続けて行くことはできない」旨の申し出があったようです。

恩田快人さんの意向に対して、恩田快人さんの代わりを見つけることなどできないと考えたYUKIさんは、五十嵐公太さんと恩田快人さんの3人で、何度も話し合いを繰り返したと言います。確執の当事者であるTAKUYAさんはと言うと…基本的に自分が作曲をしてYUKIさんが歌えば、それで「JAM」を維持できると。たとえ3人になってもベースはサポートメンバーを入れれば、普通に続けていけると軽く考えていたそうです。

YUKIさんは、バンドはチームプレイなので、誰か1人でも欠けるともう続けてはいけないと考えていたと言います。

2000年に活動を再開したJUDY AND MARYでしたが、2001年2月にラストアルバム「WARP」をリリースしました。

 恩田は自分の脱退後も残った3人、もしくは新しいベーシストを加えてJUDY AND MARYを続けてほしい意向を持っていたが、他メンバーは報告を受けた時点でバンド解散を考え、結果として解散を前提に『WARP』製作がなされることになり、全アルバムで唯一、恩田は作曲をしていない。

JUDY AND MARYの解散理由② :バンド内での交際

JUDY AND MARYのほぼ全ての楽曲の作詞は、YUKIさんが担当していますが、一部「Tack&Yukky」として、YUKIさんとTAKUYAさんの共作による楽曲も存在します。

そんな作詞を共作するほど仲が良かったYUKIさんとTAKUYAさんでしたが、かつて2人の熱愛が週刊誌にスクープされたことがあるんですよね。

YUKIさんとTAKUYAさんが交際していたのは、1994~1997年頃の時期で、ちょうどJUDY AND MARYが大ブレイクしようとしていた時期に交際がスタートしたと言われています。

引用した記事にもあるように、一時は半同棲状態にあったとも言われていた2人ですが、破局したことで気まずくなり、それが活動休止に繋がり、遂には解散に至った…なんて説もあるようです。

まとめ:ジュディマリの解散理由は何?不仲だった?judy and mary 

いかがでしょうか。

ジュディマリの解散理由は何?不仲だった?judy and mary についてお伝えしました。

ジュディマリは4人とも曲が書けるんです。ジュディマリ時代の楽曲印税も毎月、振り込まれているはずですから、今お金に困っているメンバーはいませんよ。再結成というと、解散してからボーカル以外の“食べていけない”メンバーが言いだすことがキッカケと思われがちですが、ジュディマリは違います

不仲説もあったけど、なんだかんだ結局は仲良しみたいだったけど、TAKUYAが自分の力を試してみたかったみたいです。不仲説はありましたが、今でも連絡を取り合っているみたいですし、実力世界ですから当然っていえば当然ですね。

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